性のこと

宇多田ヒカルが代弁してくれた、俺のココロの底にある深い深い闇。

アメブロ記事(2017/9/29)の再更新です。

ちょうど1年前、
2016年9月29日の記事を再更新。

この記事、
FBではいいね500件超え、
シェアも15件ぐらいだったかな?
いきました。

実はこの記事アップすること、
とても怖かったんだけど。

重すぎないかな、とか
暗すぎないかな、とか

自分で自分で書いた記事を
ジャッジしてしまって。

怖くてアップしてすぐに
友達にスーパー銭湯に
連れてってもらって
何時間もスマホ観ないように
してました(笑)

でも、蓋を開けたら
実にたくさんのひとが
読んでくれて!

これからセクシャリティのことを
もっと発信しようと思って、
何日か前から、
1年ぶりにこの記事を
再更新しようと思ってました。

そしたらね、奇しくも昨日、
とんねるずの
みなさんのおかげでした?で、

 

保毛男田保毛男

 

が復活したとかで、
一部のLGBTの間では
話題になっていました。

僕個人としてはもう

 

ゲイだからって

何なんだ

 

と言える強い意志が
ついたこともあり、
特に強い嫌悪感なんかは
出てこなかったんだけど、
それを観ていたかもしれない、
特に若い世代のことは気になって。

というのも、自分は当時
そのとんねるずの番組の影響もあり、

ゲイ=気持ち悪い
→自分も気持ち悪い存在?
→自己否定・自己嫌悪・自己卑下

などのループにはまっていったから
(そんな簡単に言葉にできるものでもないのだけど)、
同じようなひともいるのでは?
と思ったのです。

現に、Twitterなんかでは
LGBTの一部の方々が、
同じようなこと書いてたし。

表現の自由はあるだろうけど、
笑うことと嘲笑うことは違うし、
あのキャラは無意識的にでも
強烈なイメージとして
刷り込みされるでしょ。

この時代に
あれを復活させた意図は
ちょっと図りかねます。

俺みたく

ゲイだから何なんだ

と言えるヤツばかりではないし、
むしろそう言える方が
圧倒的に少ない世界の中、
特にストレート(異性愛者)に
向かって発信するのは
難しいんだよね。

ゲイとしかつながってない
ゲイがTwitterでツイートしても
ストレートには届かない。
内輪だけで終わっちゃうの。

幸い俺のブログは
女性を中心に
ストレートの方たちが
多く読んでくださっているので、
思ったことを書いてみました。

ただ、俺の意見が
ゲイの代表的意見でもないので・・・

ひとまず、よかったら
1年前の記事、読んでくださーい!

今日書いたこととは
また全然違う内容だけど。
そして、心境の変化は大分あるけど。
お時間あれば、
よろしくお願いしますm(_ _ )m

■□■□■□■□■□■□■□■□

こんばんは。
アクセスコンシャスネス®バーズファシリテーター、
アクセスコンシャスネス®バディプロセスファシリテーターの
まるのすけです。

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昨日、宇多田ヒカルが
8年ぶりにオリジナルアルバムを
出したらしいのだけど、
その中の1曲が、

ストレートの同性に

恋をしてしまった

ゲイの気持ちを唄った歌

とのことで、
早速聴いてみました。

か、歌詞が・・・
共感できすぎてヤバい。
歌詞の一部をちょっと紹介します。

 

笑顔見れる 距離にいれる
それだけでいい
友達なら側にいてもおかしくない
君に触れるあいつ見てる
報われない想いばかりが募る夜更けは
どうしたらいい?

気付かないフリとか
中途半端な優しさに 泣きたい

 

「中途半端な優しさ」とか、
めっちゃわかる・・・(;´Д`)

 

Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
Oh 何故ならば触りたくて仕方ないから Oh
Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
もう君の一番じゃないと意味がないから Oh

 

ここまでは、
男女の恋愛とも
捉えられるような内容とも
言えるのだけど、
極めつけが・・・

恥ずかしい妄想や 見果てぬ夢は
持っていけばいい 墓場に

持っていけばいい・・・

 

墓 場 に

 

この感覚は
ストレート(異性愛者)のひとには
なかなか理解されないと思う。

一生誰にも言えない苦悩。
それを見事に表現した宇多田ヒカル。
恐るべし・・・
そして、ありがとう。

それでね、
この曲について、
Twitterで宇多田のもとに
ファンからあるツイートがあり、
その彼女の返事がね・・・

What makes you think I’m “straight”?

(なぜ私を「ストレート」だと思ったの?)

すなわちね、宇多田は

ストレートだと

言ってもないのに、

なぜ私をストレートと

決めつけたの?

ということを
そこで言いたかった、らしい
(あるブログによる。本人談ではない)。

これ、
すごーく示唆に富む発言なのよ。
少なくとも俺にとっては、ね。

 

宇多田、

グッジョブ!

 

って、頭撫でたい気分
(何様w)。

というのも、
この世界は
「男女が愛し合う」ことが
大前提となっているから。

男と男が愛し合う、
女と女が愛し合う、
は蚊帳の外。

え?
そんなことない!!
私(俺)はゲイにも理解あるよ!

というそこのあなた。

会う男のひと、会う男のひと、
女性が好きだと決めつけて話してない?
会う女のひと、会う女のひと、
男性が好きだと決めつけて話してない?
(明らかにゲイやビアンだとわかるひとは除きます)。

子どもを持つお母さん、
例えばそれが男の子だとして、

「好きな女の子できた?」とか

って聴いたりしてない?

仮にその子に
好きな男の子がいたとしたら、
その時点でその子は
「え…僕っておかしいの?」と
悩み始めるかもしれません。

「僕は○○くんが好き」なんて、
絶対誰にも言えないことだと、
胸にしまって
二度と心を開くことは
ないかもしれない。

恋愛に関してはね。

もちろんね、
異性愛者以外を
排除しようなんて気持ち、
その問いかけの中には
一切含まれていないことなんて、
よくわかってる。
よーくわかってる。

だけど、
その言葉の中に、
異性愛者以外の存在は
おそらく、ない。
おそらくじゃないな。

 

ない。

 

当事者がカミングアウトしてはじめて、
存在としてのそれが
浮かび上がってくる。
さもなければ、
存在として成立することなんて、ない。

そんなことで?って
思うかもしれないけど、
俺からしたら
そうやって決めつけられること、

とても暴力的に感じてしまうの。

俺もこうして「ゲイでーす」って
表明してはいるけれど、
そんなの知らないひとにはさ、

初対面では
「結婚は?」「彼女は?」
とかフツーに聴かれるよ。

それ、いつも

「いちいちめんどくせーな」

ってイラッときてたんだけどね、

この間のかなしみ祭りの時に、

存在してないと

思われることが

悲しいんだな

って気付いたの。

ameblo.jp

そういう意味で、
ゲイと自覚してから俺はずっと、
存在がなかった存在だった。

いまでもそう思うことは多々あるし、
いつまでそれは続くのだろうと思う。

ちょうど先日見た統計に、
こんなのがあったの。

「セクシャルマイノリティが
『周りにいる』と認識しているひとの割合」*)

それね、たった・・・

 

6.1%

 

しかないんだって。

ちょっとこれにはビックリした。

俺は仕事中に限っては、
100%認識されてる。

でもそっか、
街歩いてたら、そんな認識ないんだよな…

ジジババたちが含まれてるから
仕方ないと言えば仕方ないけど、
10代20代でも1割台。

クラスに1人はいると言われてるのに、
認識はこの程度。

それは、うちらが
声をあげてないことにもよるけど、
声をあげづらいということにもよる。

俺はそこで、
あげづらいところをあえて、
声をあげてみたわけなんだけど。

自分を誤魔化すことに
もう耐えられなかったから。

「結婚は?」
「彼女は?」って、
当たり前に暗黙の了解で

あんた女が好きなんでしょ

って言われ続け、
決めつけられ続けたら、
そりゃ「違います」とは
なかなか言えません。

心閉ざします。
貝になります。
少なくとも俺はそうだった。

「お前は自分のことを話さない」

そんなこと言われたこともあったけど、
話さないんじゃなくて、
話せなかった。
話したくても話せなかった。

本当は話したくて話したくて、
仕方がなかったんだよ。

男(女)は女(男)を
愛するのが当たり前だ

というこの世界の暗黙のルール、
強い強い無言の圧力に、
当時の俺はなす術もなく、
人間関係を諦め、放棄した。

image

年末年始、
ハワイに行った時、
とてもうれしいことがありました。

日本では当たり前に聴かれる、
「彼女いる?」という質問。
それがね、ハワイでは、
「彼氏いる?彼女いる?どっちー?」
ってね、選択肢のある質問をくれたのよ。
質問してくるひとたち、みんなが!

ゲイがつくったリトリートに
滞在していた、ってのもあるけど、
それでもゲイよりノンケのが多かったし、
その中でそうやって聴いてくれたこと、

それだけで、
存在を許されている気がしたんだよね。

まるちゃん、
またそんなこと言って、
繊細なんだから~、
とか思うかもしれない。

けどね、
「彼女は?」「結婚は?」「子どもは?」
とかって、とっても日常的な会話。

性の話って
セ ックスの話だけじゃないでしょ。
性の話って、世の中にあふれてる。
そこら中にあふれてる。

性に関わる話を耳にしない日なんて、
生まれてきてこの方、
1日たりともなかった。

その中で、毎度毎度
「存在しないもの」と扱われたら、
どうなるか。

その度に悲しんで。
その度にイラついて。
その度にウソついて。

あるひとは心を病んで。
あるひとは世間体のために、
ウソついて結婚して。
あるひとは感情を麻痺させて、
何も感じなくさせて、
灰色の世界を生きていったり。

それはそれは
自己肯定感なんて低くなって当然だし、
鬱になって自殺するのも無理はない。

セクシャルマイノリティの
自殺未遂率はそうでないひとの実に6倍。

有名人でもない、
1ブロガーの1記事で、
そんな世界が変わるなんて
到底思ってないけど、
マイノリティが生き辛い世の中は、
もううんざり。

それは、
セクシャルマイノリティに限らず、ね。

この世界が
窮屈で窮屈でたまらないから、
だから俺はこうして訴え続ける。
表現し続ける。

彼女がいないといけませんか?
結婚してないといけませんか?
子どもがいないといけませんか?

もうこれ以上、
多数派の論理を押し付けないでくれ。

もうこれ以上、
人生の中で
あらゆる定義付けをしないでくれ。

もうこれ以上、

そんなくだらないこと

自ら人生を終わらせるようなひとが、
もう二度と出てこないように・・・

俺は、
誰がどうあっても、
誰が何をやっていても許される、
そんな世界に、
みんなでしていきたいんです。

文中の統計データは、
*釜野さおり・石田仁・風間孝・吉仲孝・河口和也 2016 『性的マイノリティについての意識-2015年全国調査報告書』 科学研究費助成事業 「日本におけるクィア・スタディーズの構築」 研究グループ(研究代表者 広島修道大学 河口和也)
から引用させていただきました。

ABOUT ME
まるのすけ
1974年湘南生まれ湘南育ちのアラフォーゲイ 早稲田大学人間科学部卒 理学療法士/はり師/きゅう師 囚人トレーニング実践中 全くの初心者からプログラミング勉強中