アメブロ記事(2014/10/9)の再更新です。
こんばんは。
男性カラーセラピストのまるのすけです。
昨夜もヨガスクールでした。
最初の2回は講義だけだったのだけど、
昨日はほぼ実技!
ほぼ初心者レベルなんで、
ついていくので精一杯、というか、
ついていけてなかったのですが(笑)、楽しい時間が過ごせました。
これでも体育会出身なんで、
その血が騒いで根性で乗り切ったー!
が、しかし・・・
今朝起きると腰に違和感。
腰椎とその周りが全体的に固まっていて。
これはヤバい。
俺にとって、これはとってもとってもヤバい兆候なのでした。
24歳で腰椎椎間板ヘルニア、
36歳で再び腰椎椎間板ヘルニア(この診断は微妙w)、
37歳で仙腸関節捻挫(病院行ってないからこれも微妙w)、
と過去何度も腰痛で動けない状況になりました。
これ以外にも小さいの含めれば何度も何度もあるのですが・・・
特に24歳、36歳の時はひどく、
腰だけではなく右足にも症状が出まして。
36歳の時は人生初の入院を経験しました。
入院しても治療することはないと言われたので、
入院してても意味ないと思い、
車椅子に乗って無理矢理4日で退院したのですが・・・
歩けないのでトイレまで這って行き、
便座に座ると激痛が走るので、
まるでウルトラマンのように急いで用を足し、
終わった後はすぐさま床に倒れこみ、
痛みが落ち着くまで冷たいフローリングの上で寝て、
それから部屋まで這って戻る日々。
風呂も2週間入れず、
夜は痛みでろくに眠ることもできず。
痛みは例えて言うならば、
ナイフ100本ぐらい束にして延々とグサグサ刺しているような、
そんな感じ。
なぜかそれが右アキレス腱の辺り一点に集中していました。
誰か藁人形でも打ってるんじゃ、と本気で思ってました(ノДT)
寝ているだけでも感じていた痛みが取れた頃、
ようやく歩こうと思って歩き始めたところ、
俺に待っていたのは、
右足の痺れと脱力感。
歩き始めると右足に全くといっていいほど力が入らなくなって、
最初は50m歩くのが精一杯。
これ一生歩けなかったらどうしよう?
って本気で思った。
怖くて怖くてしょうがなかった。
結局、毎日少しずつ距離を伸ばすことができて、
最終的に入院した日から数えて、
1カ月半ぐらいが経って、
無事ようやく普通に歩けるようになりました。
あの時どんだけ大変だったのか、
もう思い出せないし思い出したくもないんだけど、
もう二度と味わいたくないと思ったし、
痛みに耐えてる間は「殺してくれ!」ぐらい思ってたと思う。
ホント痛みで眠れなくて、
入院中は筋肉注射して無理矢理寝かされたぐらい。
もう絶対に絶対に絶対に・・・
あんな思いするのはイヤ。
だからね、ヨガ、頑張らないことに決めました。
頑張らないくらいがちょうどいいんだよ、俺には。
ちょっと手を抜いたぐらいが、
他の人の頑張ってるレベルだと思ってるから。
初めて腰椎椎間板ヘルニアになった24歳の時、
きっかけは専門学校の実習でした。
ただの見学実習だったのだけど、
重ーい患者さんを何度も何度も立たせることをやらされて。
その時、何も知識がなかった俺は、
力ずくで繰り返したら、その後腰に違和感。
そしてぎっくり腰になり、ヘルニアへ。
それから俺は腰に爆弾を抱えるようになり、
その影響もあって身体中のバランスがめちゃめちゃになりました。
腰以外にも膝にも爆弾がありまして。
おかげで趣味だった走ることができなくなりました。
これのきっかけは膝の調子が悪いにも関わらず、
人数が足りないからと言われて出させられた、
地元の駅伝でした。
その後、慢性的に膝に痛みが出るようになり、
走ることを諦めざるを得なくなりました。
ホントはもっと走りたかったんだよ。
今でも走っていたかったんだよ。
腰の痛みも膝の痛みも、元はと言えば、
「他人のために」頑張ったことがはじまり。
その時は、
まさか15年先までその影響が続くなんて
思ってもみなかったんだよね。
あの時、「自分のために」頑張ることを止めていたら。
自分のために「頑張らない」とう選択をしていたら。
そう、今でも思う。
頑張って頑張って、身体を痛めつけた。
頑張って頑張って、心も痛めつけた。
自分でね。
だからね、もう頑張らないって決めたんだー。
自分を守れるのは、自分しかいないもの。
他人が何か言ったところで、
他人には自分の痛みはわからないもの。
もう、自分で自分を痛めつけることはしない。
俺は、俺が守る。
「頑張らないことを頑張る」ことが、
今回ヨガスクールに通うにあたっての課題になりそうだよ。
でも、サポート役のなっちゃんにそれをメールで伝えられたのは、
俺の中で大きな進歩。
辛くなったら強がらないで、我慢しないで、
自分を大事にしてあげる。
その先に見えてくるものはどんな景色かなー。