アメブロ記事(2014/7/17)の再更新です。
こんにちは。
男性カラーセラピストのまるのすけです。
昨夜はFacebookで知り合った、
気のおけない変態仲間たちと
大カラオケ大会でしたo(^▽^)o
多い人でまだ会うの3回目なんだけど、
そんな感じ全然しなくて、
しかも会う度にみんなの顔が変わっていってて、
その変化を見るのがとても面白い。
自分も含め、
みんなクソ真面目に自分に向き合い続けてて、
そのもがきっぷり、
自分のいのちを生きようとしてる姿が大好き。
いい仲間に出会えてサイコーっす(≧▽≦)!
というわけで、
すごーく気持ちいい状態で
帰宅の途についたわけなのですが、
帰ってからいろんなことで感情の揺れがあり、
今朝になってもまだモヤモヤしております。(´д`lll)
そのうちの1つはセクシャリティのこと。
きっかけはFacebookの友達のコメントでした。
友達が頬に手を添えてる写真に対して、
別の友達が
一句。
○○氏の
頬に添えた手
おねえかな。
とコメント。
これは多少気になったものの、
そこまではモヤモヤしなかった。
さらにその後、別の友達が、
大丈夫!!メンズだったよ!!
メンズだったよ!!!
大丈夫?
大丈夫・・・?
大丈夫・・・・・・?
大丈夫ってどういうこと?
おねえだといけないの?
おねえは欠陥品か何かなのかい?!
自分はオネエというカテゴリーではないけれども、
どのセクシャルマイノリティ(セクマイ)に対しても、
こんな風なことを以前から言われ続けていることに、
いたたまれない想いを感じてきました。
最初の頃は、
さみしさとか自己否定感を感じていたように思うけど、
いつからかそれは怒りに変わり、
とにかく怒りが湧いて仕方がなかった。
そして、
「当事者じゃないヤツらには気持ちがわかるわけないんだ」
と、プライベートはセクマイばかりでつるむように、
いつの間にかなっていました。
だけど、そんな生き方は嫌だった。
セクマイの友達といる時は自分を出せて、
それ以外は自分を隠す。仮面を被る。
それに疲れた。ほとほと疲れたんだよ。
それが誰でも彼でもカミングアウトすることに繋がった。
言わないと伝わらないから。
伝えないと、当たり前のようにストレート(異性愛者)として、
扱われてしまうから。
こんな風に感じてる俺のこと、
セクシャルマジョリティの皆さんは、繊細だと思うのかな?
でも、セクマイの人たちは多かれ少なかれ、
同じ想いを抱いたことがあるんじゃないかと思う。
でね、俺は揶揄されたりすることに対して、
「仕方がないから」って諦めてきた。今までは。
どうせ俺の気持ちなんてわかりっこないもーん、って。
でも、やっぱり想いを伝えたかった。
だから今日、こうしてブログに書いてます。
そういう風に言われると、さみしいの。
自分がここに存在しても良いのか、
その気持ちが揺らいでくる。
やっぱりなんか別世界の人間なのか、とか。
結婚して、
子ども産んで、
幸せな家庭を作る。
子どもの頃から、何度も何度も聞かされてきた社会常識。
結婚もできない、
子孫も残せない、
そんな俺は生きてる資格ないのかな?
そんな風に、ずっと思って生きてきた。
思わないようにしようと思っても、
頭のどっかに、身体のどっかに、
その思いは刻まれたのだと思う。
だから、「結婚しないの?」とか、
そういうことを聞かれる度に、
表面上は平静さを装いながら、
心の中では怒りに打ち震えながら、
そして身体のどこかでは寂しさや自己否定感に苛まれながら、
やり過ごしてきたの。
でも、もう限界。
全て捨て去るのだ。
全て感じ切って、ありのままの自分を生きるのだ。
ありのままの自分を生きて、
社会常識とか全部ぶち壊してみせる。
と言っても、戦うつもりはないよ。
ただただ、自分のいのちを生きるだけ。
その中で自然と変化するものは変化していくから。
そう思えるようになった。
そんなことを書いてたら、
今、うれしいニュースがひとつ舞い込んできた。
うれしいも
たのしいも
かなしいも
さみしいも
みんな生きてる証拠なんだよね。
だから人生キラキラしてるんだよね。
だから、感情を感じ切った先に、
現実世界に変化があるというのは、
ホントにおまけ。
全部体験するために生まれてきた、ってこと、
かなーりわかってきた。
まだわかりきってはないけど~。
昨日のさみしさはまだ抜けないけれど、
これが抜けた先に待っている世界は
一体どんなものだろう。
今はさみしさと同時に恐怖も感じてる途中で、
今日明日辺りは、
それをひたすら感じるべく、
自分に向き合う時間となりそう。
ひたすらボケーッと過ごします~。